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明治に入る前までの横浜港は、開国後に急ごしらえで設置されたものだったため、外国船が直接入港することができず、船舶は一旦沖に停泊し、港とのあいだを艀(はしけ)がつないで貨物の運搬を行なっていました。しかし、明治期に入ると横浜港は徐々に近代的な港として発展を遂げていきます。まず1896(明治29)年に象の鼻に防波堤と現在の大さん橋の原型となる鉄桟橋がつくられます。その西側の海には、1917(大正6)年に現在のみなとみらい地区となる新港埠頭が誕生、大型船が接岸できるようになりました。さらに、海陸連絡鉄道、横浜赤レンガ倉庫など日本初の近代的港湾施設が続々と誕生しました。
一方で、波止場として使用されてきたイギリス波止場(西波止場)、フランス波止場(東波止場)は、新しい施設の登場に伴い貿易拠点としての役割を終えていきます。イギリス波止場のあった象の鼻地区はそのまま残されたものの、波止場自体は船の溜まり場として利用される程度になりました。後に象の鼻地区は関東大震災により被災しますが、防波堤の形状を少しだけ変更された程度の復旧作業が行われたのみで、再び貿易の拠点として使用されることはありませんでした。
1923(大正12)年に発生した関東大震災によって、横浜も甚大な被害を受けました。震災により膨大に発生した瓦礫の一部は、フランス波止場に集積されることに。その後、大量の瓦礫を処分する必要に迫られた行政は、瓦礫を海に埋め立て処分することで公園をつくることを決定します。もともと、横浜市では震災前からフランス波止場のある地に公園を整備しようという計画がありましたが、さまざまな理由により延期されていました。 1923(大正12)年11月15日に瓦礫の処分場となっていた岸壁前面が公園の場所として指定され、1930(昭和5)年3月15日に開園されました。公園の造成を震災復興のシンボルとしようと考えた横浜市は、1935(昭和10)年3月26日~5月24日に、公園で復興記念横浜大博覧会を開催します。この博覧会には国内はもとより国外からも多くの品々が出品されましたが、なかでも鯨が泳ぐ「生鯨館」は多くの来場者を集めました。