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山手・根岸・本牧エリアは、隣り合う街でありながら、過去から現在に至るまでそれぞれ独自の歴史と発展を遂げてきたエリアです。江戸時代の山手エリアが発展していったのは、1861(文久元)年からになります。江戸幕府が高台の一部を各国の領事館用地としてイギリスなどに貸与、さらにイギリスが堀川河口南側を海軍用地として借入したことを期に発展していきます。その後、1867(慶応3)年になると高台を中心に外国人居留地が形成され、住宅やキリスト教系の学校などが建設されていきました。また、このエリアの象徴的なスポットとして横浜外国人墓地があります。ここは1854(嘉永7)年、横浜港に寄港していたアメリカ人水兵が事故死した際に、ペリーがその墓を海の見える場所に作ってほしい要望したことがきっかけで設けられました。その後、19世紀から20世紀にかけて約4000人の外国人がこの地に埋葬されています。
根岸地区は江戸時代まで半農半漁の地が多く点在するエリアでした。当時、この地で穫れるナマコが絶品と評されており、運上という特別な課税がなされていたほどです。1853年(嘉永6)年にペリーが来航すると、根岸地区は海岸防備のため幕府の管轄領となり、開港後、根岸には日本初となる競馬場が建設されます。1864(元治元)年に幕府と外国人側のあいだで競馬場の設置が定められ、1867(慶応3)年から本格的な近代競馬が行なわれるようになりました。
本牧は、上方方面から物資を運んでくる船で栄える港町でした。また、当時の本牧周辺の海は海上交通の難所だったため、座礁船の救援基地としても重要な役割を果たしていました。多聞院や吾妻神社の近くは周辺でも随一の町場として栄えており、その規模は当時では神奈川宿に次ぐほどでした。町場が発展した要因としては、18世紀に幕府から漁業生産が認められたことが挙げられます。それまで寒村と呼ばれるような地域でしたが、漁業が認められたことで江戸へ大量に海産物を卸すことができるようになり、富裕層も多く、商取引によって生計を立てるものも少なくありませんでした。しかし、江戸末期の開港によって本牧は姿を変えていきます。外国人が多く訪れるようになり、丘の上を中心に洋館が建てられるようになりました。1859(安政6)年には後の横浜開港に備えて直管轄となり、外国奉行預地となります。