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横浜みなとみらい21は、横浜ランドマークタワー、パシフィコ横浜、横浜赤レンガ倉庫など、横浜を象徴する施設を多数有する地区です。現在は横浜市を代表する規模を誇る都市のひとつですが、明治に入るまでこの地のほとんどは海が広がっていました。埋め立てがはじまるのは明治初頭からになります。1872(明治5)年に日本初となる鉄道が品川駅と横浜駅(現在の桜木町駅の場所)で開通しますが、横浜駅(現・桜木町駅)のあった場所も駅開業のために埋め立てられた土地になります。その後、横浜市制が施工された1889(明治22)年から1923(大正12)年にかけて、現在のみなとみらい地区の約6割程度が埋め立てにより誕生します。
後にみなとみらい地区となる埋め立て地には、主に造船所が置かれていきました。現在、横浜ランドマークタワーの横にドックヤードガーデンがありますが、これはその名の通り、当時造船所が置かれたドックヤードの名残です。造船所となる発端は、1891(明治24)年6月、現在のみなとみらい地区に修繕船事業を行なう有限責任船渠会社が設立されたことにさかのぼります。この会社が設立された後、現在ドックヤードガーデンのある場所に2号ドックが、そして帆船・日本丸が係留されている1号ドックが完成しました。横浜船渠(せんきょ)はその後、造船事業にも進出し、明治後期になる頃にはこの地は一大造船所として発展します。横浜赤レンガ倉庫が建築されたのもこの頃になります。1911(明治44)年に第2号棟、1913(大正2)年に第1号棟が建設され、戦後まで倉庫として使用されました。
横浜の大規模な埋め立て事業は、当初政府が主導していましたが、一部は民間によって行なわれました。そのひとつが、先述した横浜駅(現・桜木町駅)一帯のエリアです。工事を請け負ったのは、横浜の父とも呼ばれる豪商の高島嘉右衛門という人物です。彼が自ら出資して海を埋め立て、その後、工事代金の代償として受け取った土地は、その偉業を記念して高島町として命名されました。高島嘉右衛門は、埋め立て事業以外にも明治時代の横浜発展に寄与しています。例えば、1869(明治3)年、当時ドイツ企業に権益を奪われそうだったガス工場建設の権利を、自ら会社を設立することで国内企業のもとに奪還し、1872(明治5)年9月にはじめて横浜にガス灯を灯すなど、数々の実績を残しています。